災害と天変地異
今年2025年、災害が起こるという予言あって、災害について考えてみたくなって天変地異について書いている。
災害ではなくて、天変地異にしたのは、災害は人的要素が入っているものだから。
Googleの『AIによる概要』によると、
災害
- 自然災害:異常な自然現象によって、人間の社会生活や人命に受ける被害
- 人為災害:人為的な原因(活動)によって、人間の社会生活や人命に受ける被害
天変地異
- 天変:天空に起こる異変、異常気象、その気象による災害
- 地異:地上で起こる異変、地震や津波、火山の噴火活動など
「天変地異は自然界に起こる異変を指し、災害は異常な自然現象や人為的な原因によって人間の社会生活や人命に受ける被害を指します。」
災害は自然や人為によって被る害、災い。
天変地異は、つまるところ、普段はあまり起きない変化である。
だから、
天変地異は人間が、災いと思い、災いにしたときに災害となる。
天変地異は人間が、災いとしなかったら、ただの変化である。
宇宙はビッグバンという天変地異から始まったといわれている。この大変化がなければ、宇宙は生まれなかった。
そもそもの宇宙というものの仕組みはそうなっている。
小さな変化と大きな変化が無限に積み重なって、宇宙の空間は広がり、時間が流れていく。
天変地異はその一つに過ぎない。
「災害」「災害」・・・と世間で繰り返し言われていて、怖くなっている自分がいる。だから、「災害」ではなく「天変地異」の方が自分が怖くないし、また読む人に恐怖感を煽らないのではと当初は考えた。
しかし、「天変地異」という言葉は、かみしめればかみしめるほど怖い。
そこに気づいた。
天変地異=天の変化と地上の異変。

「天変」は、天空に起こる変動のことで、異常気象や、その気象による災害のことを言います。暴風や大雨、日食や彗星などが天変です。
「地異」は、地上で起こる異変のこと。地震や津波、火山の噴火活動などが地異にあたります。
Oggi.jpより
「天変」●天体で起こるもの
日食、彗星、隕石、月食
●気象により起こるもの
大雨、落雷、大雪、暴風
「地異」
地震、洪水、津波、火山の噴火
Oggi.jpより
背後には壮大な宇宙が広がっていて、もちろん人間には手に負えない世界が厳然としてあることを知らしめる。
果てしのない宇宙に吸い込まれていく感覚
底の底まで落ちてゆく底なしの穴と思ったら、別の宇宙につながっているブラックホール。
SF映画のように宇宙服を着て、真空に空間に投げ出されたらどんなにつらいだろう。
宇宙そのものが不可解であり恐怖の塊である。
そこから起こされる天変地異とは、まさに予測不能な異変でしかない。
しかし、天変地異の一つとしてどこかで新生が爆発して生まれたとしよう。
宇宙学的にはどのように考えられているかは知らないが、我々が日常生活を送っている中で直接に感じられる影響はない。
「今日はアンドロメダで星が生まれたから、私のおなかは痛い」
などということはない。
つまり、天変地異は、われわれ人間が被害を受けなければ、「なんでもない」ということである。
害を被ってはじめて「災害」となる。
天変地異が及ぼす
身体的な害と精神的な害

その害には身体的・物理的な害と精神的な害がある。
身体的・物理的な害は、災害が起こると同時に発生する。
ケガをする、食料が買えなくなる、排せつに困るなど様々な害が生じる可能性があるだろう。
けれども、事前に避難バッグを準備し、避難経路や避難場所の確認、備蓄するなどすることによって被害を少しでも軽減させるという配慮はできるだろう。
それでも被害にあってしまった場合はできることで対処をするより道はない。
一方で精神的な害は、予測や予言が行われた時点で発生する。
それなりに信頼できる筋が納得できる説明によって予言や予測が行なわれると、もうその時点で恐怖心がやってくる。
避難バッグなどを準備すれば多少、恐怖が軽減するかもしれないが、ぬぐい切れない恐怖がいつも背中につきまとう。
それは、人それぞれの感じ方ではあるが、大勢の恐怖心が集まれば、それはそれで大きな影響力をもつ。
南海トラフ利権があるというが、それもベースは恐怖によって膨れ上がったものであろう。
さらに、恐怖心は肉体への影響が大きい。
それぞれの人の身体に与えるダメージも小さくはない。
そして、実際に災害になったら、地震であれば余震が続くかもしれないし、いつまでもこんな避難生活を続けなければならないんだ、 と未来にたいして、大きな不安を持つ人も多いだろう。
恐れずに備える

繰り返すが
天変地異は人間が、災いと思い、災いにしたときに災害となる。
天変地異は人間が、災いとしなかったら、ただの変化である。
天変地異を災害にしたくないならば、身体的な害と精神的な害を極力減らすしかないのであるが、避難バッグを用意したり避難場所を確認したりと、身体的な害については、チェックしていても、精神的な害については、ノーチェックの人があまりにも多いように思う。
筆者自身も恐怖に駆られて、こんな文章を書いているのであるから、精神的な害を受けることによって、天変地異をただの変化から災害にしてしまっている一人である。
「恐れずに、いざというときの準備をする」というと矛盾していて、心の中の葛藤を生み出すようなことに思えるが、多くの人がその葛藤とともに生きている。
老後の準備はしなくてはならないが、無暗に老後を怖がってお金を貯めるだけでなく、恐怖心をいかになくすかを工夫する。
試験に不合格となるのは怖いが、恐怖を原動力とするのではなく、勉強の面白さや受かった時の喜びに意識を当てて受験勉強をする。
恐れることは、心に甚大なダメージを与えるとともに、身体にも大きく影響する。
日頃から、恐れを動機にしないで、淡々と準備していくことは大事であろう。 この稿を書いたのをきっかけに私ももうちょっと真剣に準備に時間をかけたい。

(END)
