【あるはずの2台の扇風機が消えていた】
私の家の押し入れの手前に、突如、2台の扇風機が現れ、3台となった。
実は、もともと3台並んでおいてあったものがおよそ1か月半前から、1台となっていたのだ。
それは自分の腰の高さほどある。
他の2台は膝くらいの高さである。
今朝、突如として3台がそこにあることに気づいた。
つまり、今まで一番背の高い扇風機は気づいていて、
片づけなければならないとは思っていながら放っていた。
しかし、並んである他の2台には、背が少し低いとはいえ
気づかないでいたのである。つまり脳からロックアウトされ、忘れ去られていた。
扇風機を使わなくなって、1か月半くらいであろうか。
その間、狭い屋内の押し入れの前で目についていたはずの扇風機2台が
目に入らなかったのである。
【余裕ができたら見えるようになった】
私はここ2か月ほど、あるチャレンジをしていた。
そして、昨日、失敗の報告を受けた。
もしも成功していたら、来週あたりから猛烈に忙しくなった。
チャレンジするまでも、それに立ち向かうために
勉強もしたし、いろいろ努力をしたから余裕がなかった。
ところが、昨日、失敗の報告を受けて、
現在の時間にも今後のスケジュールにも心にも一気に余裕ができた。
だから、他の2台も片づけなければならないということに
気づいたのであろう。
【スコトーマをはずすとは…】
これをスコトーマがはずれたという。
脳は自分にとって重要でないものは認識できない。
過負荷をふせぐために、必要のない情報をフィルタリングする。
RAS(網様体賦活系)の働きは、自分にとって重要な情報だけを脳に届ける。それ以外の情報は「ロックアウト」する。
このロックアウト、つまりはずされた領域がスコトーマという。
私の家の扇風機の場合、9月半ば以後、あるチャレンジとその成功が自分にとって
重要なこととなった。
それ以外に今すぐ手につけなくてもいいことは、見えなくなった。
これがすなわち認識の盲点、スコトーマとなった。
背の高い扇風機だけ見えていたのは、大きくて邪魔だったからだ。
押し入れの前を通るとき、いつも邪魔だと考えていた。
でも、今は片づけることはできないとそのままにしていた。
他の2台は、大きい扇風機より邪魔にならないから、自分の認識から消えてしまった。スコトーマになってしまったのだ。
【悟りとはすべてのスコトーマが外れること】
脳機能学者の苫米地英人は、「悟りとはすべてのスコトーマが外れる体験」という。
自我というものは、自分にとって重要な記憶によって作られた評価関数である。自分が誰であるかは、自分が大事だと思う項目を優先して定義しようとする。「東京大学を卒業した自分」より「昨日の朝食に納豆を食べた自分」が優先されることは普通はない。
(『お釈迦様の脳科学 釈迦の教えを先端科学者はどう解くか?』より)
この自我から生まれるのが、スコトーマであり、自我がなくなればスコトーマはなくなる。悟りとは自我がないことである。つまりすべてのスコトーマが消えることである。
【見えない世界をふたたび見えるようにする】
あるチャレンジというひととき重要であった事項がなくなったとき、目の前に扇風機が2台現れ、3台に戻った。
私たちは、自分が重要だとしていることによって、どれだけ世界を見えなくしているのか。
自我をなくすとは、すべてを見える(認識できる)ようになることとは思ってもいなかった。
「悟りとはすべてにとらわれなくなること」というこだわりが、スコトーマをつくっていたのだ。
どんなことでも強くこだわる、つまり重要なものをつくることによって、見えない世界をつくってしまうのだ。
だから、過去の出来事やそれによってできた自分像、または現在取り掛かっていることなど、もう一度、自分にとって重要だとしていることが、ほんとうに重要であるか自ら見つめてみよう。
すぐに手のひらから、投げ捨てることができるものが見つかるかもしれない。
投げ捨てた瞬間にあるものが、目の前にあらわれてくる。
こうして、見えなくなった世界をふたたび見えるようにしよう。
こうして「悟り」への道を歩いていくのだ。
(END)
