自我を消すもしくは取り去るのが、真我を表し、悟る、ある意味、唯一の方法であろう。
完全なる真我に至ると、自我がなくなってしまうから、この世に生きていられないと思われる。
自我に振り回されている人がすぐにわかるのが、他人の話をろくに聞かずに、自分の主張を言いまくる人だ。
以前は、日本ではそういう人を恥ずかしい人だと切って捨てられてきたが、今では事情が、違ってきた。
世界のコミュニケーションにおいて相手に何かを伝えるのに、わかっていることはできるだけ言語化しないのを高コンテクスト・コミュニケーションといい、すべてを言葉で明確に示そうというのが低コンテクスト・コミュニケーションという。
日本はもっとも高コンテクストな社会であり、欧米は低コンテクスト社会であるという。
低コンテクストの国の人たちが主導権を握っているで国際社会では、高コンテクストな日本人が自己主張を強くして、大げさなジェスチャーをして、彼らと渡り合っていかねばならない。
それは、ただ単に苦手というだけでなく、自己主張を振り回すのは恥ずかしいという日本人の倫理観と、さらに「自我を薄くする先に悟り(庶民にとっての幸せ)があるという認識があるからに違いない。
ここにおいても、社会(国際社会)という自分の外側への対応と、自我にとらわれない心の平安という内側への対応との使い分けをしていかなければならないという事態となる。
