Shinpi Me

神秘の私 / 内なる自由を見つける

人間は社会という檻(おり)によって自然から隔離されている




自然とともに鳴り響く「生命の音楽」




昨晩、日本における先住民といわれる民族の音楽を聴いていて、自然と調和していると思った。

その自然とは、何か。私の家の前は、崖なのだが、そこは雑木林になっている。

今、秋の虫たちがいっせいに合唱をおこなっている。

3階であるベランダの窓を開け放っていると、数百数千数万…数は定かでない虫たちの歌声が迫力でせまってくる。

その音の中で、スピーカーからの先住民の音楽を流すと、虫の声という大自然に、先住民族の音楽がはまり、壮大なオーケストラと合唱団へと変貌するような気がする。



借景としての自然、日本人の感性


これは、日本庭園がその庭だけを見ていただけでは、どこか足りないのと同じである。背後の山や空など、つまり借景を合わせてみると、雄大な芸術作品へと変わる。

日本人は、常に自然の中にあって、人間はその一部であると認識することによって、より広大無辺な世界を自然とともに創り上げてきたのである。



自然から分離された「社会」という空間



だから、たとえ先住民族の音楽と言われているものだとしても、たとえば、虫たちや鳥たちの声と分離してしまうものは、ほんとうのものかどうかと疑ってしまう。

あえて、虫たちの声のない、鳥のさえずりの少ない冬を想定して作っているものもあるのかもしれないが、日本で音のない世界はあったろうか。

極寒の雪に覆われた世界でも、風の音は聞こえるだろう。でもまあ、音の聞こえない世界もあるにはあるだろう。

しかし、その自然を感じながらというのは、もう生き方そのものが自然の一部であるのだから、当然である。

ここで言いたいのは、現代人は、自然から隔離された社会で生きている。

いやそんなことはない。休日に旅行に行ったり、平日でも公園を散歩したりと、自然と触れているではないかという人もいるだろう。

しかし、それは、サファリパークでバスの中から、外の自然を窓越しに眺めているのと同じであって、人間がつくった自然から分離された「社会」の中から、旅行や公園、自然体験ツアーなどという「窓」を通して、自然を眺めているだけである。

それは、先住民族が自然の一部として、自然の中で生活し、文化をつくったのとは、まったく違うことなのである。


「社会」という檻



もっといえば、自然から隔離された「社会」という「枠」とは、別名「檻(おり)」であって、われわれ人間はその檻の中に閉じ込められているのである。

檻の中で、まるで猛獣同士が戦わせられているかのように、怒り憎しみ競争し、時には戦争し、争わせられている。

 猛獣が檻に入っているのは、猛獣たちを檻に入れさせて戦わせて、それを見物しようという人間がいるわけである。

 それと同様に、人間を社会という「檻」の中に閉じ込めている誰かが必ずいるはずである。それは、超大金持ちの人類の支配者かもしれない、各国政府を牛耳っている影の権力者かもしれない。



支配者たちもまた檻の中にいる

 

でも、そうやって人々を「社会という檻」の中に閉じ込めさせて、世界を意のままに動かしていると自己満足している人たちも、実は、「檻」の中に閉じ込められていることに気づいていない。

 彼らの認識している社会と、一般の人々の認識している社会の規模が違うかもしれないが、結局は、五十歩百歩である。

 自分以外の人類を、金儲けのため、権力欲のため等なんらかの理由によって、社会の檻の中に閉じ込めているという意識があるならば、その時点で、自分も「社会の檻」の中に入っているのである。

 そして、抜け出すことはできない。

檻をつくっているのは誰か?


 なぜなら、彼らをそこに閉じ込めているさらに、大きな存在があるからである。

 それはなんであろうか?

 「自分」である。

 自分が自分を社会という「檻」に閉じ込めている。

 実は、一般民衆も、たとえ大金持ちや権力者に支配されているという構造の中にあっても、その社会という檻に自分を閉じ込めているのは自分なのである。

 もっとわかりやすくいえば、自分の脳の中に、思考の檻があって、その中で身動きが取れなくなっているのが真実の姿である。

 そして、その自分の脳の中の思考をつくっているのは、たとえ、周囲から多大な影響を受けていたとしても、結局は自分なのである。




思考が創る社会という幻



みんなそれぞれの人が「それぞれの人の社会」を「脳の中」につくっている。それは「思考」で形成されている。

 その脳の中で「思考でつくった社会」が、「檻(おり)」になっていて、作り手である自分が「檻」の中に自分を閉じ込めている。

 その構図は、貧しい一般市民も、世界で権力を握っている大金持ちも同じなのである。自分の脳の中に築き上げた「社会」を崩さない限り、延々と「檻」の中にいることに変わりはない。

檻から抜け出す第一歩




 どうしたら、その「檻(おり)」から抜け出すことができるか?まずは、「檻」に気づくことである。

 「檻」に閉じ込められていると聞いて、「ほんとうかよ」と思った人もいるかもしれない。

 

 しかしそれも当然といえる。なぜならば、檻の中にいると檻の中にいることさえも気づけないかもしれない。

 だから、まずは想像の中からでも、檻の中から抜けてみることをお勧めする。

 瞑想をして、幽体離脱をして世界中を駆け巡ったり、宇宙を旅したり・・・

 なかなかできないという人は、『マトリックス』などのSF映画やその他、ファンタジーを観るといいだろう。

 それを参考に、思考実験的な瞑想をするのだ。

 そうやって、意識して、社会という檻の中から抜ける訓練をしていれば、いずれは抜けることができるだろう。

 つまり、自分をがんじがらめにしている思考や感情の鎖をほどくことができるだろう。


(END)