言葉とは、何もない所から出てくる。
何もなきところから出(い)でし言葉らを
在るようにして我らは生くる
「文字に頼らず、言葉では伝えきれない真理を、心から心へと伝える」ことを、禅宗では「不立文字(ふりゅうもんじ)」という。
「不立文字」
禅師「話すな!」
弟子「おまえもな!」
この小話に関わる短歌
言葉ではほんと(真理)を伝えられぬことを
言葉にするしかなきぞ悲しき
言葉で表すとすべてがウソになる。
言葉に表した時点で、表す対象そのものでなくなっている。
表す対象と、その対象を表した言葉はまったく別物である。
日本語はそれをわかっている言語ではないかと思う。
その対象のすべてを表すことができないから、初めから説明し尽そうとしない。
であるがゆえに、饒舌にたっぷり説明しようとしている言葉より対象が見えてくる。
現代の日本人は、その日本語の特徴を忘れている。
何もかもにせもの(偽物)がごとき面(つら)をして
ほんもの語るにせものの面
言葉で語れぬことを、あえて言葉に託す。その悲しみとユーモアのなかに、日本語の美しさや面白さがある。
(※この文章に出てくる短歌や小話はすべて自作です。)
(END)
