Shinpi Me

神秘の私 / 内なる自由を見つける

自分にウソをついたら真理を得られない。

言わずと知れた剣豪、宮本武蔵。


彼は唯一の著書『五輪書』の中で書いている。


13歳のとき初めて勝負した。それから、28、9歳まで60数度闘ったが、負けなかった。

しかし、30を越して振り返ると、それは兵法を極めたわけでもなく、自然の才能があり天理に即していたのか、それとも相手が不十分であったためか、いずれにしても自分は未熟であった。


 その後、深い道理を得ようと、朝夕鍛錬をつづけた結果、おのずと兵法の道にかなうようになった。50歳の頃である。


 兵法の道にかなって、諸芸諸能の道をおこなうと、すべてにおいて師匠はいらなくなった。



―このような人生を送った武蔵だが、たしかに、剣の道によって悟りを得た彼が描いた書や絵画は、名人の域に達している。



 この『五輪書』の宮本武蔵の記述について、面白い解釈を読んだ。



社会心理学者の加藤諦三の文章である。



「勝っても、勝ってもうち払うことができない、この虚しさは、いったいなんだろうか?」と自問する宮本武蔵。

 そして行き着いた答え「どうせ生きるならば、誠実に生きたい。己に嘘はつきたくない」であった。

 この言葉は、勝って勝って勝ち抜いた果てに摑んだ栄光の裏にある孤独感と、言いようのない虚しさの中で得た悟りだと私は理解した。」

加藤諦三著『他人と比較しないだけで幸せになれる』(幻冬舎新書)P.24

 



 さんざん勝ち抜いた30歳頃の宮本武蔵は、虚しさを感じた。


 その自分にウソをつかずに、誠実に自分を追求したからこそ、彼はそれから20年後、兵法の道の真理に達したのであろう。


 勝ち続けたことで増長し、自分の心もしっかり見つめないで、それまでの延長線上で兵法を続けていたならば、勝ち続けることはできないし、決して真理には達しえなかったであろう。


 真理・悟りは、外側にあるものではなく、自分の内側‐心にあるのであるからだ。あの時代に誰にも教わらず、20代後半の若造が、まさに外から内への転換を行ったことが何より、宮本武蔵が天才だった理由にもなろう。


                             (END)