どうも書くということが、パソコンに打つのが面白くない。
ブログの更新が進んでいない一因にもなっている。
結局、手書きが好きなのである。
大学ノートにひたすら書いていく。
もしくは、考えながら、まるで岩に文字を刻むように
書きつけていく。
それが、喜びなのである。
だからといって、書道をやろうとまではいっていないが、
文章を紙に書く、ペンを持って書くというのは、
身体そのままの声のような気がして、快感がある。
ところが、今、そうであるように指先でちょこちょこと
キーボードに打つことで、どれだけ「俺(オレ)」が
表れているだろうか。
「おれ」とは、「己(おのれ)」から来たものではないかと
私は考えている。
「おのれ」の「の」がとれたものが、「おれ」だと。
これも私見ではあるが、「の」とは、宇宙の渦を表しているような
気がする。
右回転の、宇宙の中心から広がっていく渦、それが
「の」である。
そして、「おれ」とは「自我」。
「自我」と「宇宙」が一体となったもの。
それが、「おのれ」である。
近頃、自分を「おれ」と呼ぶようにしているが、
それはそのため。
かつては「ぼく」と言ったり、「わたし」と言っていた。
「おれ」と自分を呼ぶときは、
「おのれ」から「の」の取れた「おれ」を意識している。
そう、自分は「宇宙と一体」である。
「宇宙そのもの」であることを意識して。
「おれ」というたんびに、思い出しているわけでは
ないが、ときどき意識をすることで、我(われ)に返る。
(あらためて意識して見ると「われにかえる」もいい言葉だ)
そしてこの「おれ」=「おのれ」を身体いっぱいで 書くことが「手でペンをもって書く」ことなのだ。

(END)
