【「背中」を育てる】
私は、エレベーターの中の防犯カメラで、斜め上から映された自分の後ろ姿を見ることがある。
なんてむさくるしいのだろう。
まだまだ修行が足りんと思う。
鏡で自分の顔を見る時は、無意識に取り繕っているだろう。
背中じゃ取り繕うこともできない。
ただし、その場で修正することはできなくとも、
「背中を育てる」方法はある。
幕末の儒者、佐藤一斎の以下の文章である。
冒頭で紹介した出来事のきっかけとなったのもこの言葉であった。
【読み下し文(本文)】
人の精神尽く面に在れば、物を逐いて妄動することを免れず、須らく精神を収斂して、諸を背に棲ましむべし。方に能く其の身を忘れて、身真に吾が有と為らん。【訳文】
人の心が顔面に集中している場合には、外界の事物を逐い求めて、理非の分別もなく行動しがちになる。それだから、心を引きしめて、これを背中に住ませるようにして、判断に誤りを起こさないようにすべきである。
自分の身体を忘れた、その身こそ外物に惑わされないほんとうの自分となる。
「怒り」等の感情は、自分の中に入ってきた外部情報に反応して、発せられるものである。
上記の『言志録』の言葉にあるように、顔面すなわち脳に意識が集中していると、視界に入ってくる外界の事物に刺激を受け、「怒り」や「驚き」、「快感」などの反応をし続ける。
ところが、意識を背中に向けることによって、なぜか、外界の情報にとらわれにくくなり、外部情報が自分の中に入る量が各段に少なくなる。
よって「怒り」などの反応も起きにくくなる。
自分が「背中に精神を住ませる」ことを行ってみた結果の、分析である。
特に、人間の数と情報量、それらの刺激が大きい都会において、意識してみることをおすすめする。効果を感じやすい。
どうやって「背中に精神を住ませる」つまり「背中を意識する」のか?
〇たいがい街中を歩いているときは、顔面など前方か、考え事をしている場合は頭に意識が行っている。それを、背中―自分の背面を意識するようにする。
すると、前方を注意していないから危ないという人もいるかもしれないが、無意識に身体は動くから大丈夫。むしろ背筋が伸びているから、人混みでも他者をよけやすい。実際に行ってみればわかります。
〇ただ意識していればいいだけではあるが、それが心もとないという方は、背中を意識した上で、以下のことを確認してみよう。
- 背筋が伸びているか?
- 背中に温かさを感じるか?
そのような状態であれば、背中を意識しているといえる。
〇意識しただけじゃその実感がない人は、あえて上記のことをやってみる。
- 背筋を伸ばす。
- 背中に温かさを感じる。
そうしているときは、意識しようとしていなくても、背中を意識しているといえる。
〇ずっと、意識している必要はない。気づいたときに意識すればいい。すると、気づいていない時でも、無意識が背中を意識しているように感じる。
海に浮かぶ氷山でいえば、人間の顔など前面は、水上に出た氷山の一角であり、背後は水中にある巨大な氷にあたる。背中はその無限の世界への入口になる。つまり、背中を意識することで、本来の自己へ背中から入っていくルートもあるということだろう。
と同時に、余計な外部情報が遮断されやすくなるから、本心に基づいた判断を行いやすくなる。
(END)
