Shinpi Me

神秘の私 / 内なる自由を見つける

精神を背中に住ませる~後ろの世界にすべてはある~(3/3)

【「背中」を育てる】

私は、エレベーターの中の防犯カメラで、斜め上から映された自分の後ろ姿を見ることがある。

なんてむさくるしいのだろう。

まだまだ修行が足りんと思う。


鏡で自分の顔を見る時は、無意識に取り繕っているだろう。

背中じゃ取り繕うこともできない。


ただし、その場で修正することはできなくとも、

「背中を育てる」方法はある。


幕末の儒者、佐藤一斎の以下の文章である。

冒頭で紹介した出来事のきっかけとなったのもこの言葉であった。



【読み下し文(本文)】

人の精神尽く面に在れば、物を逐いて妄動することを免れず、須らく精神を収斂して、諸を背に棲ましむべし。方に能く其の身を忘れて、身真に吾が有と為らん。

【訳文】

人の心が顔面に集中している場合には、外界の事物を逐い求めて、理非の分別もなく行動しがちになる。

それだから、心を引きしめて、これを背中に住ませるようにして、判断に誤りを起こさないようにすべきである。

自分の身体を忘れた、その身こそ外物に惑わされないほんとうの自分となる。



「怒り」等の感情は、自分の中に入ってきた外部情報に反応して、発せられるものである。

上記の『言志録』の言葉にあるように、顔面すなわち脳に意識が集中していると、視界に入ってくる外界の事物に刺激を受け、「怒り」や「驚き」、「快感」などの反応をし続ける。

ところが、意識を背中に向けることによって、なぜか、外界の情報にとらわれにくくなり、外部情報が自分の中に入る量が各段に少なくなる。

よって「怒り」などの反応も起きにくくなる。

自分が「背中に精神を住ませる」ことを行ってみた結果の、分析である。

特に、人間の数と情報量、それらの刺激が大きい都会において、意識してみることをおすすめする。効果を感じやすい。

どうやって「背中に精神を住ませる」つまり「背中を意識する」のか?



〇たいがい街中を歩いているときは、顔面など前方か、考え事をしている場合は頭に意識が行っている。それを、背中―自分の背面を意識するようにする。

 すると、前方を注意していないから危ないという人もいるかもしれないが、無意識に身体は動くから大丈夫。むしろ背筋が伸びているから、人混みでも他者をよけやすい。実際に行ってみればわかります。



〇ただ意識していればいいだけではあるが、それが心もとないという方は、背中を意識した上で、以下のことを確認してみよう。

  • 背筋が伸びているか?
  • 背中に温かさを感じるか?

そのような状態であれば、背中を意識しているといえる。



〇意識しただけじゃその実感がない人は、あえて上記のことをやってみる。

  • 背筋を伸ばす。
  • 背中に温かさを感じる。

 そうしているときは、意識しようとしていなくても、背中を意識しているといえる。


〇ずっと、意識している必要はない。気づいたときに意識すればいい。すると、気づいていない時でも、無意識が背中を意識しているように感じる。

海に浮かぶ氷山でいえば、人間の顔など前面は、水上に出た氷山の一角であり、背後は水中にある巨大な氷にあたる。背中はその無限の世界への入口になる。つまり、背中を意識することで、本来の自己へ背中から入っていくルートもあるということだろう。

と同時に、余計な外部情報が遮断されやすくなるから、本心に基づいた判断を行いやすくなる。




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