【背中を失った世界の物語】(SF寓話、風刺小話)
(※「以下、未来社会を舞台にした風刺的な物語で、現代の価値観や社会問題をユーモラスかつ皮肉に描いた作品です」と作者が自分で言っています-笑)。
文明はひょんなことから転換点を迎える。
20✖✖年の世界は、背中を忘れた。
新しいウィルスの蔓延によって、人々はリアルで
人と会うことはなくなり、オンラインでの交流だけになった。
もちろん、仕事もテレワークのみ。
常にパソコンやスマフォの画面を通すから、
他人を見るのは、面(おもて)―前側のみ。
過度に、面を重視して、裏側―背中を軽視する世界となってしまった。
その中でコスパとタイパを突き詰めた結果、
服装は、「どうせ見られない」ということで
背中側がない服しか作られなくなってしまった。
だから、後ろ側から見ると、素肌が丸出しである。
すると、なぜか物差し(定規)の売れ行きが極端に悪くなった。
背中側に服がなくなったために、モノサシがなくても
背中をかきやすくなったためだ。
とくに各家庭ではこんな光景が当たり前となった。
妻「ねえ、背中がかゆいわ」
夫、妻の背中に手を伸ばしながら、「ここらへんかい?」
かつて日本では「親の背中を見て、子は育つ」という「ことわざ」があったが、死語となった。
背中を軽視した結果、「ことわざ」とそこに含まれた教訓にまで影響を与えたのだ。
ところが、思わぬ結果を招いた。
子どもたちが、親の背中を見なくなった、つまり、親の生き方を見習わなくなった結果、
優秀な人材に成長する子が増えたのだ。
日本国にとっては、思わぬ幸運であった。
さらに、背中を軽視する慣習は、裏側を軽視する社会へと世界を変容させて、人類の意識を浸食した。
表側―建前が過剰であることが当たり前となり、裏側―本音は打ち消さなければならない社会となった。
女性社員「部長、いつもながら貫禄があって素敵。社長になる人は見かけもそれに見合う人でなくはなりませんからねぇ
(本音―太り過ぎでしょう。あなたが会社のトップを目指すようではこの会社も終わりだわ。自分をコントールできない人間が経営をうまくできるわけがないじゃない)」
部長「そうかねえ。相変わらず君は、お目が高いねえ」
(この部長は、本音でそう思っている。こういう奴はいつの時代も生き残る)
表面ばかり重視し、裏を軽視する世界は、人類史上かつてない“うすっぺらで軽薄な文化”を各民族や国に生み出した。表面的な美しさや軽いノリが重視され、内面の輝きや人情、奥深さはまったく生まれなかった。
ゆえに軽薄なエンターテイメントは次々商品化されたが、本質を描く芸術作品は絶滅の危機に瀕した。
後世、この時代の文学や芸術作品は、まったく評価されないことが予測できる。
また、いくら表面的でいいといわれても、本音を打ち消そうとして簡単に打ち消せるわけではない。心の内にどんどんストレスがたまっていく。
さらに内省的な性格の人間は、外側でいう言葉と内側で思うことのギャップに耐えられなかった。
世界は人類史上、各国で多くの自殺者を出してきたが、かつてこの時代ほど自ら死を選ぶ人の数を増加させてしまった時代はなかった。
だから地球と人類にとって、2つの意味で汚点となる時代となるであろうる。
※精神を背中に住ませる~後ろの世界にすべてはある~(2/3)に続く。
