こばなし「銀河系外のとある惑星で完全主義者の主婦が犯した間違い」
日本人家庭ヤマダ家が、銀河系外のとある惑星チュウノウのとある宇宙人家庭に招待された。
食事が終わったので、ヤマダ家の奥さんは自ら進んで、キッチンで使用した食器の後片づけをした。
いつものように、気がきいて、素早く、きれいに・・・、完璧な主婦ぶりを見せつけた。
ところが、それをやった彼女は、3重に間違いを犯したことになってしまった。
- まず、惑星チュウノウでは、陶器やガラスの食器は使い捨てで、洗わずに捨てる。なぜならば、陶器やガラスは大量に余っていて安価で、洗うための水や洗剤の方が何倍も高価だった。彼女の仕事は素早いだけに、宇宙人家庭の誰かが注意する余裕もなかった。
- それから、鍋やフライパンについた汁の残りや、残存物は洗い流してはいけなかった。なぜならば、その鍋やフライパンについた少量の残存物の栄養やレシピ、味加減などの情報から、簡単に同じ料理の再生またはよりおいしい料理にすることができたからである。彼女の完璧さはそのデータをすっかり洗い流してしまったことになる。
- そして3つめ、これが決定的であった。かつて地球の日本では「男子厨房に入らず」と男性が台所-キッチンに入ることを戒められた。だからといって、この惑星チュウノウで女性がキッチンに入ってはいけないということではない。いや、それも含まれるが、人間そのものが入ってはいけなかったのだ。すべては、ロボットの仕事であった。日本では気のきく女性として評価されていた彼女の行動が仇となった。
その結果、かつて厨房に入った日本人男性が、とくに女性たちから白い目で見られ、嫌われたように、主婦のみならずヤマダ家は、ロボットたちから嫌われてしまった。
惑星のありとあらゆるロボットは1つのAI(人口知能)でつながっている。だから、彼らはチュウノウにいられなくなり、早々に地球に帰星してしまった。
(※ちなみに、惑星チュウノウは、「厨房NO」から派生して命名された)
自分でコントロールしなければ気が済まない人
あらゆることを、自分でコントロールしようとしている人は、
小さくなる。
そういう人は、器が小さい人であり、儒教でいう小人(しょうじん)
と呼ばれる人であろう。
目先のことばかりにとらわれる。
中国の古典『菜根譚』の一番初めの言葉はこうである。
道徳に棲守する者は、一時に寂莫たるも、権勢に依阿する者は、万古に凄涼たり。達人は物外の物を観、身後の身を思う。寧ろ一時の寂寞を受くるも、万古の凄涼をとることなかれ。
【訳文】
真理をまもる人は、さびしくも一時。権力にへつらえば、末代の名折れ。悟った人は物にとらわれず、なきあとのわが身を思う。いっそ一時はさびしかろうと、末代名折れのまねをすまいぞ。(魚返善雄訳『菜根譚』角川文庫 昭和30年発行より)
この言葉でいう、「物外の物を観、身後の身を思う」ことができない人が、なんでも自分のコントロール下におきたい人である。
(「物外の物」とは、「世俗的・現実的なものを超越した絶対的なもの」であり、「身後の身」とは、「朽ちない死後の生命と名声」。)
完全主義者だけでは人間が小さくなる
そのような人は別の表現で言えば、完全主義者といってもいい。
なんでも、完璧にこなそうとする。
それは悪いことではない。
なぜならば、できるだけいい物を作ろう、
できるだけ完全にこなそう、
仕事のミスをまったくしないようにしよう
と思うからこそ、いい仕事ができる。
芸術作品やエンターテイメントでもそうである。
映画監督では黒澤明が思い浮かぶ。
シーンのイメージに合った雲を
あらゆる患難を乗り越えて待ち続けるなど
彼の完全主義者ぶりは有名である。
だから、世界中から長く評価されている作品を生み出すことができたのであろう。
でも、その完全主義を、人生全般にわたって行おうと
しているのであれば破綻するか、人生が小さくならざるを得ない。
できるはずがない事を実行しようとしているのであるから、
当然、自分が完璧にこなしやすい手の届く範囲のことだけに着手するようになる。
そのため、人間がどんどん小さくなる。
完全主義者の完璧は、個人の物差しに過ぎない
別の視点からいえば、その完璧は、その人の心が持っている物差しに
合わせているにすぎない。
当人が見たら完全にできたと思っても、他の人の視点-物差しから見たら、
まったく不完全であるかもしれない。
であるから、
「自分の完璧ではなくて、宇宙の完璧に身をまかす。」のが、大切である。
「宇宙の完璧」とは、「自分の完璧」も入っているから、
たとえば、仕事などで完璧にやる必要があるとおもったときは、
「完璧」を期すがいい。
しかし、人生全般の心構えとしては、「個人」以外のすべて―「宇宙の完璧」を目指す。
それは、「宇宙に身をまかす」ことである。
「宇宙」は一つの完全であり、すべてのことは完璧に行なわれている。
それを信じて、身をまかす。
また、前掲した『菜根譚』の言葉でいえば、「達人は物外の物を観、身後の身を思う」である。
金とか権力など目の前の利益ばかりに右往左往するのではなくて、真理を守る生き方をこころがける。
こうした絶対の真理を意識しながら、宇宙に身をまかす。つまり、宇宙の完全さに身をまかすのである。
(END)
