小話「星はすぐそばにある」
降るような星空の天文台。
ある天文学者が巨大な望遠鏡で宇宙を見ている。
そばに子供がいる。
天文学者「おお、星々は1光年よりはるかに遠い無限の彼方にある。宇宙はなんて広大なんだろう。」
子供「どうして?すぐそばに星はたくさんあるよ。おじさん、星を手に取ってみて!」

AIによる宇宙、地球、人間の大きさ
宇宙の広さ
- 可視宇宙: 現在の科学的観測によれば、可視宇宙の直径は約930億光年です。これは、光が138億年(宇宙の年齢)の間進んだ距離を考えますが、宇宙の膨張により、実際の直径はこれよりも大きくなっています。
地球の大きさ
- 地球の直径: 約12,742キロメートル(赤道上)。
- 地球の表面積: 約510百万平方キロメートル。
人間の大きさ
- 平均的な成人の身長: 概ね1.7メートル(170センチメートル)前後。
これから計算すると、
地球の大きさは宇宙の大きさのおよそ70億分の1
(12,742 km /930億光年)
人間の大きさは地球の大きさのおよそ7500万分の1
- 地球対人間の比: 地球の直径を人間の身長で割ると、約7500万倍大きいです。
- 宇宙対地球の比: 可視宇宙の直径を地球の直径で割ると、約70億倍(930億光年 / 12,742 km)となります。
つまり宇宙の直径は、人間よりも
約520,000,000,000,000,000,000,000,000倍(520億兆倍)大きい
Grok2より
めまいがするほどの途方もない数値。
そんな宇宙に太刀打ちできるはずもなく、ただただ無力感にひたるのみ。

満天の星空の下で感じる正反対の感覚
宇宙から見れば、見えないほどにちっぽけな地球の上に築いた世界経済の中で小さな小さな歯車として、アリのように働き続けている。そんなちっぽけな存在である私(人間)は、ただただ粒子の一部として生きて行くしかない。
でも我々人間はそういう心境になるだけではない。
「宇宙」に対して、以下のような2つの心境になることがある。「2.」の方は、前述と同じ感情だ。
1.山の上で夜空に展開する広大な宇宙を見て、壮大さを感じ、気持ちが大きくなる。
2.途方もない宇宙の壮大さを天上に見て、自分(人間)の小ささを目の当たりにして怖くなる。
1.と2.は、正反対の心情である。
自分は、視界の開けた高台で、満天の星空を眺めて、別々のときに、あるいは同じ時に交互にそのような両方の感情を体験したことがある。
私はそのとき、自然に湧いてきたか考えと感情によって揺れたのであるが、ほんとうは、そのどちらでも自ら選択できるはずである。
「宇宙の壮大さと自分の心を重ね合わせる」ことと、
「宇宙の大きさと比べてなんて人間は小さいのだ」ということ。
そして、日常どちらを選択しているかによって、人生が変わってくるような気がする。
そのときどきに応じて適した考えや心情であるどちらかを選択することもいいだろう。
ただ、ベースとなる考えがどちらかであるかによって、人生は大きく変わるのではないか。

人間の心が宇宙をとらえているから、心は宇宙より大きい?
「宇宙の大きさについて、心でとらえているのであるから、人間の心はそれより大きいんだ」という考え方を以前聞いた。
しかし、それを何度聞いてもなかなか納得がいかなかった。
発言者は本気でいっているのではなく、屁理屈をこねて「宇宙より心は大きいのだ」と言っているに過ぎないのではないかと思っていた。
でも、今は、以前よりは納得がいっている。
地球といい、宇宙といい、人間の科学が進んだ結果、今の宇宙や地球の概念はある。しかし、これまでにも、いろいろ覆されてきたように、その概念は変わったり、付け加えられたり、変化してきた。
これからもまた変化していくだろう。
だからといって、そんなものはあてにならないとは言わない。
しかし、そもそも宇宙も地球も人間が作った概念ではないか。ほんとうに、ビッグバーンで生み出された膨張する宇宙があり、無数の銀河があり、ある銀河の太陽系の一惑星が地球であるのを見たことがある人間は一人もいないだろう。
でも、宇宙の全体像を見たことはなくても、地球については大気圏の外から青い地球を人間が見ている。
その地球に微生物のように這いつくばりながら、生きているのが人間だ。
地球の外から地球を見た宇宙飛行士以外の世界の全人口数十億人の人間は、実際に見たわけではない。モニター画面に映し出された映像を見ているに過ぎない。
映し出されているものがほんとうにあると思っているだけである。
たとえば、アメリカがかつて月面着陸した映像は、『2001年宇宙の旅』のキューブリック監督にアメリカ政府が依頼してつくったフェイクだという噂がある。
それがほんとうにフェイクであるかどうかはわからないが、そうだとしてもおかしくない、ありえるから、噂が立つ。
なぜ、ありえるのか。宇宙飛行士以外の人は、実際に見たわけではないからである。
実際に見て聞いて体験したものではなく、ただ他人から伝えられて見たものであるのであるから、そこに尾ひれはひれをつけることができる。
ほんとうに実在を体験しているのであれば、いい加減なことはいえない。少なくとも自分自身をだませない。
だからといって、今の科学がつくった概念による宇宙がないといっているわけではない。尾ひれはひれが付いたものであるかもしれないが、変化していくものだから、それはそれで認めるとして、自分の概念による宇宙というものを持っていると、生きるのがだいぶ楽になるのではないか。

「私の心は宇宙より大きい」と唱えよう!
元に戻るが、「人間の心は宇宙より大きい。なぜならば、宇宙を自分の心の中で宇宙をとらえているから」において、前半だけをとって、「人間の心は宇宙より大きい」という考えを各自採用してみるのはどうであろうか。
私は「人間の心は宇宙より大きい」と思っているし、あえてそういう認識で生きたいと思っている。身体は小さな小さな存在であるが、心は宇宙よりも大きくなれるし、実際、さらに深いところでは宇宙よりも大きい。
しかし私のようにそれが現実であるととらえていなくても、人の心はいくらでも宇宙について考えることはできるのであるから、どんな考えを採用してもいいわけである。ためしに「人間の心、つまり私の心は宇宙より大きい」という考え方を採用して見よう。
いらなくなったら、ポイっとすててもいいから。
なぜならば、
「この広大無限な宇宙の中で私(人間)は塵よりも極小のちっぽけな存在である」という考えによる弊害の方が、「人間の心、つまり私の心は宇宙より大きい」という尊大さのせいで現れる影響より大きいと考えるからだ。
人間個々は矮小な存在に過ぎないという考えを利用して、国家や宗教団体、企業、超富裕層等の特権階級が、どれくらい人々を支配してきただろう。
その考えを直接利用しなくても、教育や社会の影響で、小さな人間存在は弱いから誰かに依存しなくてはならないと思い込まされるようになり、国家、宗教団体、企業、特権階級等に雇われて、奴隷のように使われるようになるのである。
だからときどき、
「私の心は宇宙より大きい」と唱えよう。
そのとき、身体の感覚をとらえてみよう。
感じるまで何回か唱えてみる。私は体が少し軽くなる感じがする。
あなたなりの変化があるかもしれない。
それはいい方向にあるということである。
なぜならば、「私の心は宇宙より大きい」は真理であるから。

