Shinpi Me

神秘の私 / 内なる自由を見つける

孤独死と自分への「誇り」(誇りを持つことⅠ)



「誇り」がなくなると骨抜きになる

生きていく上で「誇りを持つ」ことの大切さを痛感している。「誇り」があるからこそ、生きていることができる。

もし今、自分に「誇り」がなくなったら、骨抜きとなり、へなへなになってしまうような気がする。そして、だらしなく生きる。酒に浸ってしまうかもしれない。自己管理を怠り、医療にすがっていきていくかもしれない。

老年に近づけば近づくほど、その思いは強くなっている。

一人で生きていると、料理をつくる、食べたら片付けて流しをきれいにする、ゴミを分別しまとめて階下の集積場に持っていく、衣服を洗濯するなど、当たり前のことの連続を自分でやっていかなくてはならない。

たとえ他の人のようにきっちりできなくても、少なくとも最低限の事はやらなければならない。

さぼるようになると、どんどん家の中は乱れていき、生活のリズムがくるっていくだろう。極限まで行くとゴミ屋敷のようになり、いずれは身体を壊し、死へとつながるかもしれない。

それに対して、手伝ってくれる人はもちろん、「きちっとやりなさい」とか、さぼっていたときに、「なぜやらないんだ」と叱る人は誰もいない。

とくに一昨年、急に家族を失い一人身となった自分だからこそ猶更意識するのかもしれない。


孤独死の無残さ

以前、住宅の管理組合の理事をやっていたとき、70歳前後の男性が孤独死した。消防と警察が鍵を開けると、真夏であったため、死体は腐乱していた。

私が管理組合役員としてその家を訪れたのは、死体が持ち運ばれて数日経過した後であったが、その方が亡くなられたというキッチンの床には、遺体の後が影のように染みついていた。家中にアンモニアのような異臭が放たれていた。

ゴミ屋敷とまでは行かないが、床面には物やゴミが散乱していた。

その中に私がつくった会報が落ちていたのが印象に残っている。

トップ記事は子ども向けの花火大会のお知らせであり、そこにはウサギのキャラクターが花火を楽しんでいるイラストを使った。殺伐とした家内にあって、フリーイラストを利用したウサギのキャラクターの優しい顔が妙に浮かび上がっていた。

彼はほんとうは花火大会に参加したかったのだろうか。一人では参加しにくかったろうなと思うと切なくなった。

亡くなる前は、少しボケが入っていたという。管理人さんが言っていたが毎日のようにスーパーに行き、ネギを買って帰る。一人でそんなに食べられるのか不思議がっていた。


その死には人間が希薄だった

今振り返って思うのであるが、彼は自分に「誇り」を持って生きていたろうか。そして自分を大切にしてきたろうか。

おそらく普通に勤めに出ていたであろう。結婚をしたのかはわからず、初めから一人であったのかもしれないが、少なくとも最後は一人身であった。無事に勤めを終えて年金暮らしになった。しかし晩年の人生を投げやりに生きていたように思えて仕方がない。

家には、仏壇があり、母親らしき人の写真が置いてあった。孤独の中で、母親と先祖を祀って生きていたのは偉いと思う。しかしどこにでもある普通の仏壇であり、先祖に対して特別の敬意を抱いていたようにも感じられなかった。

ただ亡き母にすがるように一人で生きていたのか。それだけを頼りに生きていたかもしれない。

家の中には、彼は生前こんな人だったんだと思わせる形跡が見られなかった。こういう趣味だった、本棚にはこのような本を好んでいたというようなその人、独自の世界が見られなかった。一人の個性ある人間が暮らしていたことが、とても希薄に感じられた。

それは私が異臭の中で、冷静に観察できる状況ではなかったせいかもしれない。また、亡くなられたとはいえ、他人のプライベートを覗き見るのは失礼だという気持ちも働いていたからまじまじと見るのを避けていた。また、家の中だけで個人の生き方まで読み取るのは、私の洞察力は十分ではないのかもしれない。

生前お話しする機会があれば、彼がどういう人であるかはわかったはずだ。

また呆けることによって、元気だった頃の趣味や考え方、生き方は失われた可能性はある.

だから、彼に関する見解は、私の勝手に作り上げた妄想にすぎないのかもしれないけど、潜在意識の中でそのイメージが「立ち入り禁止」の立て看板となって、ある方向への道に行ってはいけないと示してくれていることに、この文章を書きながら気づいた。

自分への誇りという大道を行く



私が思う、「立ち入り禁止」の方向ではない安全な「道」とはなんであろうか。

もう先程から繰り返し使っている言葉なのだが「自分を誇りに思って生きる道」である。

その道を歩くことは、自分をしっかり持って生きることであり、だからこそ、しっかりと生きられる。

「自分を誇りに思える道」を選ぶともいいかえることができる。

その道はつまり「大道」である。

漢学者、諸橋轍次は『大漢和辞典』という本場、中国でも評価された膨大な情報量の辞書を三十余年の歳月をかけて完成させた。大事業をやり遂げたのだ。

彼の座右の銘は、『論語』の雍也編にある

行(ゆ)くに径(こみち)に由(よ)らず

であった。

それについて諸橋は

歩く場合に小道によらない。いつも大道を堂々と歩いてゆく。これは、まことに立派なことばだと思う。

しかし普通の人びとには、それがなかなかできない。

なぜできないかと言いますと、小道によったほうが近いような感じがする。
また大道を行くよりは、小道へ行ったほうが得があるような感じがする。そのために径(こみち)を選ぶのです。

ところが実際行ってみると、必ずしもそうではない。径を選ぶと、必ずそこに行き詰まりができて、結局、急がば回れのほうが便利になることが多いのであります。


小道をゆくとは、自分を誇りに思えなくなるような道を選んでしまうことだろう。たとえ、お金を得たいがゆえに、自分を蔑ろにしてでもある職場にとどまり続ける。

誇りある自分が「こんなことをしては駄目だ」と感じていることを人の言いなりになってやってしまう。多くの犯罪はそうやって生まれるのではないか。自分を尊重していれば決して手を出さないことをやってしまう。

人生を変えるような大きなことでなくても、行きたくないという自分の気持ちを無視して、集まりに参加してしまう。買いたくないけれど、安売りという看板に釣られてあまり欲しい物でないものを購入してしまう。

こうした些細なことの集積が、自分を誇りに思えなくしてしまい、「自分を誇りに思える道」の選択に支障をきたしてしまう。

自分を誇りに思い、「自分を誇りに思える道」を選択しどんなに厳しく、つらく、淋しくとも歩んでいく。

すると、ますます自分を誇りに思えるようになる。

結局それが一番楽な道だったと気づく。

「大道」だったとわかるときがくるのだ。