幕末の儒者、佐藤一斎著の『言志録』には、
「自重自愛」の思想が貫かれている。
つまり自分を重んじ、自分を愛する。
集団主義の最たるものであった薩摩藩で生まれた西郷隆盛は、『言志録』を座右の書とすることによって、
個人すなわち自分を尊重し、愛することを学んだであろう。
たとえ、どんな自分でも、自分を尊重する。そして愛する。
だらしない、怒りやすい、努力をできない、怠惰である、冷たい、
ギャンブル依存症、アルコール中毒・・・
世間一般で否定的にとらえられている要素が自分の中にあっても、
たとえ、それが自分の大きな構成要素となっていても、自分を尊重して、愛する。
よく「自分を愛する」ことは、スピリチュアル等さまざまな方面から
その大切さを言われてきたが、「自分を重んじる」「自分を尊重する」という
表現はあまり使われていないように思う。
「自分を尊重する」とは、「自分を尊敬する」「自分を敬う」と言い換えることができよう。
そもそも日本文化において「愛」という言葉だけではなじまない。
「敬愛」と表現されて、特に昔の日本人はしっくりきたのではないか。
人を愛するだけでなく、敬ってこそ、ほんとうにその人を大切にしたことになる。
子が年老いた親に対するとき、ただ単に愛情だけで接していては、犬猫をかわいがるのとかわらない。
そこに敬いの心がくわわってこそ、ほんとうに親を愛することとなる。
親が子に対するときも同じである。
いくら自分の子であるからと言って、猫っかわいがりをするだけでは、
その子が自信をもった大人へと成長することはできない。
愛する中に、その子への敬いがあってこそ、たとえ、親の思い通りにならなくても、
この子にはこの子の人生がある。それを尊重し、伸ばして上げようと
思えるのではないか。
人を愛するためには、まずはあふれるほどに自分を愛することが必要であると同様、
他人を尊重できる自分になるためには、まずは自分を十分に尊重して、日々を暮らさなければならない。
まずは、自分は自分を尊重できているか、自分を敬っているか、ないがしろにしていないか、自分で自分に問うてみよう。
