ラジオ番組の構成をやっていた頃、担当していたディレクターから美輪明宏の番組に遊びにこないかと言われた。
僕は断ってしまった。仕事につながる可能性は大きかったのにである。その頃は男性なのに女性としてのアイデンティティを持つ人に対して多少の軽蔑の念があり、美輪から見透かされてしまうのではないかと恐れたからだ。
今思えば非常に残念だ。
当時から畏敬の念はあったのであるが、テレ朝の番組『オーラの泉』を一視聴者として見るようになってから、尊敬の念はより大きくなって、性別のことなどどうでもよくなった。
美輪明宏は人生相談の仕事も多いが、悩める人に対して、愛のある的確なアドバイスをする。とともにとても厳しいところがある。
自らに厳しく、努力を惜しまず、だからこそ芸能界を生き残ってきたのだ。
彼の著書『ああ正負の法則』(パルコ出版、2002年発行)には、売れない役者にかぎって、努力せずに女や酒やパチンコなどの快楽にふけり、売れっ子の役者に嫉妬して愚痴ばかりこぼしている。
美輪は彼らに対して仕事が来ないならばこうすればいいと言っている。
それなら演出家がいなければ自分で演出すればいい。プロモートしてくれるプロデューサーがいなければ、自分がプロデュースすればいいのです。自分がプロデュースして、台本を書いて、演出して、照明プランも自分が立て、衣装もこうやれば安い生地で縫えるという知識を持っていれば自分でできる。美術や装置も、多くの芝居や美術文化を見ていれば、じゃあこういうものをやりましょうという知識があちらこちらから引っ張って来ることができます。(52頁)
今のようにジェンダーに理解がなかった社会で、役者として歌手として誰も相手にしてくれなかったとき彼が行ったことなのだ。
つまり、自分を生かして活躍できる場所がないなら、自分で自分を生かせる場をつくってしまう。自分の踊る場を自分でつくって踊れということだ。
たとえば、会社や組織が向いていないなら、自分で会社を創ればいい。会社までつくるのは無理だとしても、個人で事業を行なったりフリーランスになって、能力を生かす。
仕事では自らを輝かせることができなくとも、ボランティアや趣味で生き生きとする。しかも、自分に合っているサークルや場がないならば、自分で同じ志のある仲間や同じ趣味の人を集めて始めるといい。
もしも自分で何かを創ることができないならば探すんだ。必ず自分を光らせることができる場は世間のどこかにある。
つまり口を開けて待っているのではなく、能動的に求めて行く。われわれは、あまりにも受動的な教育を受けすぎた。学校や社会から与えられたことをこなしていくのに慣れすぎてしまった。
それをいつの年代でもいいから打ち破らないと、いつまでも幸せに到達できない。少なくとも満足できない。
受動的にたまたま得たとしても、自分で獲得したことよりは喜びも薄いし、自分の力になるのも何倍も小さい。
少しずれてしまったが、不平不満を言っているなら、ともかく自分の踊る場を自分で創り、そこで自分を輝かせよう。
地球のすべての人々がこうして輝くようになり、その光は、さらに他の人を輝かせ、地球全体の輝きが増す。
それが、アクエリアスの時代であろう。
