今月27日、満月の晩に、家庭で大きなことがあって
ダメージを受けている。
心の勉強―悟りなどを追求してきて、いまだにこれじゃあ情けない。
月は占星術師のマドモアゼル・愛さんに寄れば、イリュージョン(幻影)であり、
満月の夜の告白は虚偽であったと思いたいが、
そう信じきれない自分が誰かに相談したり、さまざまな行動へと駆り立てている。
お恥ずかしい限りである。
イリュージョンをつかさどる
月の対極に位置する太陽は真実であり、
その太陽によってこそ真実に導かれるという。
自分にとっての真実とはなんであろう。イリュージョンとは何であろう。
ここ目の前に確かにあるもの、つまりデスクとかパソコンとか
箪笥とか壁が真実と思っている時期が長かった。
その中で、「ほんとうにここにあるの?」という感覚に浸る時期もあったが、現実を生きるには「目の前にある物がほんとうにある」という前提を蹴ってしまっては、寄って立つところがなくなり生きていけないと思った。
それが「やはりないんだ」ということを知ってから、
人生が大きく変わったような気がする。
そのただ限りなく自分の内側だけの変化であったものが、
時が進むにつれて自ずと周囲の人にまで影響を及ぼすことになった。
いや、もう気づいた瞬間に周りもかわっていたのかもしれない。
私の心がすべてをつくっているということこそが、
たった一つの真実であるに違いないと認識しているつもりである。
ところが「わたし(自我を超えた私)だけしかないん」だということから、ぶれてしまうと、どんどんイリュージョンが展開していく。
いまだにそこまで見事なバーチャルリアリティーを、アミューズメントパークで見たことがない。
こうした幻影に翻弄される自分が情けなくもあり、
いまだに遊びたいんだなあとも思うのである。
イリュージョンですら、喜びや悲しみ、怒り、そして苦しみや快楽におぼれたいからこそ、自分で創っているのである。
ほんとうはね…

