生きるとは死があるという前提があって
はじめて存在する。
つまり生きるとは、半分死んでいることだ。
よって、ほんとうに生を充実させたいならば、死を意識しなければならない。
死を意識するとは、自分は必ず死ぬのだということを意識することだ。
哲学者であり、教育者の森信三いわく、
死の絶壁に向かってつよくボールを投げつけ、
そのはねかえる力を根源的エネルギーとしながら、
日々を生きぬく人物の生きざまは、げにも凄まじい。
『森信三先生 一日一語』より
昔日の武将らは、日常、死を意識していたがゆえに燃え立つような生の充実感を覚えていたであろう。
死を怖がるのではなく、自分の死を受け入れていた。
器の大小に関わらず、彼らはそれぞれの人生の火を燃やしたであろう。
もしかすると、生の原点とは死を受け入れることにあるのかもしれない。
