※カバーの写真は、白隠禅師の書画です。
あなたは明るいから大丈夫
現役の書家で、90歳近いのにとても元気な女性にお会いした。
別れる間際に言われたことは、「あなたは明るいから大丈夫」。
とても嬉しかった。
私がここ数年の自分にとっては逆境と言える様々な体験をしてきたことを伝えたのを受けての言葉だった。
嬉しいとともに2つの点で意外に思った。
1つ目は、「自分が明るい」と言われたこと。
2つ目は、「明るいと大丈夫なのだ」ということ。
でも、その2つとも後からかみしめて合点がいった。
1つ目については、私は先月、経済的なことや健康状態、家族と離れたこと、孤独・・・自分を取り巻く苦境というものをすべて受け入れることにした。
そして、受け入れることは、自分の人生の目的である「意識の成長」や「自分を知る」に直結する道であり、またそうした苦境が自分に与えられているのは、それらの目的を実現するためであると信じることにした。
さらに、宮本武蔵の独行道の1つ「我事において悔いなし」を実践し始めた。自分がやってしまったすべての事に対して後悔しないように努めた。
なぜならば、やったことを後悔することは、上記の目的のために何の役に立たないばかりか、害になると考えたからだ。
それらを続けているうちに、周囲に明るい雰囲気を醸し出しているような“感じ“はしていた。でもあくまで主観であるから、外からどう見られているかはわからなかった。
さらに、これからも実行できるかはわからないし、なんらかのことをきっかけにまた暗くなることもあるかもしれない。
少なくとも現時点では、自分がここのところやってきたことに対して手応えは感じている。
明るいと大丈夫
2つ目の「明るいと大丈夫」については、
その書家の女性は、ご自身が厳しい人生を乗り越えてきて(どんな人生だったかはそれを書いてしまうと特定できてしまうのでここでは控えたい)、
いまだに現役で作品を描き、弟子たちに書道を教えている。
過去に他の人から見れば非常にたいへんな、普通の人なら逃げ出しているような経験をしてきたにもかかわらず、自分はたいへんだと思ったことはなかったという。むしろ、自分はお金にも人にも恵まれている。貧乏していても必要なときにお金が入るし、さまざまな人から助けられた。自分の周りにはいまだに良い人しかいない。とても感謝しているという。
そういう「明るい考え方」をしてきたからこそ、常人では超えられない境遇を本人にとってはなんということもなく超えて現在に至るのであろう。
そしてそれこそが、外から見れば大変そうに見える人生を乗り越えて、90歳近くまで生きいまだに多くの人から慕われて現役で仕事をしている秘訣なのだ。
「明るいから大丈夫」は、書の達人であり、人生の達人であるその方が、生きてきた中で得た人生の実感だったのだ。
P.S. 明るくない人へ
明るくない自分はどうするんだ。暗い私は、大丈夫ではないのか。また、ふだん意識して、明るくふるまっていないが、とくに暗くもないという人もいるかもしれない。
その人たちは「明るくない」のだから、「明るいから大丈夫」という「明るいことによる恩恵」を受けられないのか。
いい方法がある。「私は明るい」と思えばいいのだ。さらに、そう口ずさめばいいのだ。それは自分に対してウソを言っていることにはならない。なぜならば、どんな人でも明るいからだ。外見ではない。内面にある本当の自分とは明るい。それが人間の本質なのだ。
また、「明るい」には「その事についてよく知っている(よく通じている)」という意味もある。誰もが何かに通じている。少なくとも他の人より自分の事をよく知っている。その意味でも、「私は明るい」といったとき、ウソにはならない。
ときどきでもいいから「私は明るい」といってみよう。自分の本質をよりいっそう輝かせるツールとなる。
