Shinpi Me

神秘の私 / 内なる自由を見つける

スノームーンに照らされた記憶




 今日は乙女座の満月。スノームーン

  「満月の晩に起こったイリュージョン」を前回書いて、およそ2年経過してしまった。

 あの日、どんな出来事があったのか…。

 

書斎に来た妻に、

「離婚して」

と言われた。重みを感じられない、軽い言い方だったが、だからこそ真実味があった。

 虚をつかれた私は

「ほんと?」

とバカな返しをしてしまったように覚えている。


 それから残酷な1年半が過ぎ去って、ついにジ・エンドとなった。


 別居する前、服や小物、妻と子どものものがダンボールにしまいこまれた。空っぽとなったタンスや押し入れを見ているだけで私は腑抜けになった

 引っ越しの日には、荷物がトラックに詰め込まれ、二人の自転車も最後の隙間に埋められた。


 彼らを送り、家に戻ると何一つなかった。いやそう思えた。自分のものはあるし、残されたものはたくさんあった。でも「おれには何もなくなった…」と強く感じた。


 そのセピアよりも色のない思い出が自分の脳内のスクリーンになんど映し出されたことであろう…。


 満月の夜から始まった物語は、ほんとうに離婚してしまったのだから、イリュージョン‐幻想でなかったといわれるかもしれない。


 でもそもそも自分の目の前に起こるすべてのことがイリュージョンだとしたら、離婚とそれにまつわる個人的な出来事のすべてがそのはずだ。


 記憶を脳もしくは網膜という体内にあるスクリーンに映し出しているのとおなじように、自分の心の中にあるものを外側にあるスクリーンに映像化している。


 ならば真実はどこにもないのか?人間は幻想の中でろうそくの炎のように揺らめているだけなのか。

「ある。」

「それはどこに?

いったい地球上のどこにあるというんだ!」

「心の中にある。…」


 離婚後、ある人に言われた。

「自分の望んだことしかこの世には起こらない」

「バカ言っちゃいけない。おれはさんざん離婚を拒否し続けたんだぞ」

と言葉に発しないが叫んでいた。

 「わかれないために、どれだけがんばったか!」


 そう言いたくなるのをがまんして、心の亀裂から奥へ奥へと自分を潜っていくと、「別れの希求」という暗い淵に行きついた。


「おれはやはり望んでいたのかもしれない」


 だとしたら「離婚」を切り出すという悪役を妻(元妻)にただ押し付けただけだったのではないか?

 そのズルくて醜くくてしょうもない自分を正視できないがゆえに、おおい隠していたのではないか。

 

 ただ家族のために言っておきたい。自分が離婚を潜在意識の奥底で望んだということが本当であったとしても、みんなを嫌いになったわけではない、今でも愛しているということを。

 

 2月の満月はスノームーンと呼ばれるらしい。

 明日は満月を過ぎてしまうが、こちらにも雪が降るかもしれない。

 3階から、雪の降り積もった公園が見える。ブランコを月光が照らしている。

 それを見て、子供たちをブランコに乗せている姿を思い出している明日の自分。

 その背中が今、とても淋しく見えるのが、哀しい。