今、日本においてハウツーものがさまざまな分野で主流になっている。
ネットの情報しかり、ユーチューブなどの動画しかり、
書店の本もしかり、さまざまな商品しかり(100円ショップなどの商品だってこれを使えばこういうように便利であるという情報を伝えるハウツーものと広義で解釈できる・・・)。
まるで世間がハウツー中毒にかかってしまったような様相を呈している。
しかし、ハウツーに固執しているかぎりは、籠の中のネズミのごとく車輪をクルクル回転させているだけで、何も変わらない。いや、変わっているような気を起させるだけで、本質的な部分では何も変化がない。本質をつかめていない。
それは迷路にはまっていて、その中でどうしたら抜けられるか、どうしたらより速くゴールにたどり着けるかを、ハウツー本をみながらあっち行ったり、こっちに来たりしているようなものではないか。
ほんとうは、地図を見るのがいいし、もしできるのなら上空に浮き上がって迷路を俯瞰してみることができたならば、一気にゴールが見える。
どういう構成になっているか、どういう罠があるか、どういう質のものであるか、その迷路の本質が把める。
つまり現状把握である。
迷路、すなわち世界はどうなっているかを見るのである。できるだけ深く、広く、長期的視野で、綿密にこの世界を知る。
すると、自ずとどうすればここを抜けられるかが見えるはず・・・
世界を知るとは、自分の世界観をつくることでもある。
そして、つまりは自分を知ることでもある。
ここで残念ながら気づいてしまったことがある。
世界という迷路の抜け方として、ハウツーを学ぶよりも、深く、広く長期的視野で、綿密に世界を見ることというハウツーをこの文章で語っているではないかということだ。
自分の思考自体がハウツー中毒に侵されているのではないかという以前よりの疑念が再び蘇ってきた。
