蝉は鳴かねばならぬから鳴くのではない。
鳴かずにはおれないから鳴く。
雨は降らねばならぬから降るのではない。
上空にたまった水滴が落ちざるをえなくて雨になる。
昔人は、それを至誠。ほんとうの誠といった。
やらざるを得ない、つまり「やむにやまれぬ」からやる。
それが、自然だけでなく、人も
ほんらいの姿だというのだ。
「やむにやまれぬ」とは、
魂の奥底から泉のごとく湧き出てくるもの。
雲が自然に空にあつまってできるよう、
鳥が飛び、歌わざるをえないように、
秋が近づくと夜、虫たちが自ずと合唱を始めるように・・・
一方で「やらねばならぬ」とは、
世間の基準、常識、伝統・・・
自分の過度な欲望、名利への欲求、プライド・・・。
山田準(1867‐1952)という陽明学の泰斗がいた。
彼はこう講義している。
我々はやむにやまれぬことは平気でやめるし、
やめてよいことは一生懸命にやる。
実にお恥ずかしいことであります。
(『言志録講話』より)
私は「やむにやまれぬこと」をやっているか?
「やめてよいこと」をやっていないか?
この時期にあらためて見つめなおしてみたい。
