「これを学んだら商売になるんじゃないか。」
「○○を身につければ出世につながるかもしれない。」
「この資格をとるために勉強する。」
どうしてもなりがちである。
われわれ日本人はとくに
試験のための勉強を強いられてきたから。
でも、日本人に「学問する」という概念を
植えつけたといっても過言ではない
かの『論語』という書物にはこうある。
昔の学者は、学問を自分のためにしたけれど、
今の学者は、他人に見せるためにしている。
―古(いにしえ)の学者は己(おの)れの為(た)めにし、
今の学者は人の為めにす。
ほんとうに学問を身につけるためには
●自分が大好きだからする
●自分の心の成長のためにする
●興味があるから追求する。
●面白くてしょうがないからやる
●夢中になってやる
ということが大事なんだ。
つまり、「自分への愛のため」に学ぶんだよ。
そうではないと、なかなか本物になれないんだよ。
ということを言っているのだ。
ぼくは『論語』の中でもっともこの言葉に惹かれる。
すごく好きな言葉だ。
『論語』は孔子の哲学が書かれているが、
彼の時代から2500年以上経っているけど、
人のあり方は変わりがないんだなあ。
(実は、『論語』が日本に伝わってからおよそ千年
たって書かれた宮本武蔵の『五輪書』にも
同じようなことが書かれているが、別稿に譲りたい。)
