コロナ自粛で時間の余裕が生じたことよって、あなたは疲れた心と身体を休ませることができたであろうか。心底からリラックスできた人は少ないのではないか?
なぜならば、多くの人が、自分の人生と社会にのみ込まれているから。
「自粛期間中、自分を磨かなければ、コロナ後の社会で負けてしまう。」
「今のうちに準備をしておかなければ、経済不況で路頭に迷ってしまう。」
「仕事をしないでこんなにのんびりしていていいのか?」
こうした煩悶がある限り、ほんとうの意味でゆったりすることはできない。コロナで仕事がなければないほどこの手の葛藤が生じる。
そして、この煩悶は、自分と自分の人生、そして社会に「呑みこまれている」限り消えることはない。
勝海舟はこう言っている。
「物事をあまり大きく見るからいけないのだ。
物事を自分の思慮のうちに、たたみこむことができないから、あのとおり心配した果てが煩悶となって、寿命も何も縮めてしまうのだ。
全体自分が物事をのみこまなければならないのに、かえって物事の方からのまれてしまうからしかたがない。
これもやはり余裕がないからのことだ。」
心理学やスピリチュアルの影響か、それとも国家や会社のために個人を犠牲にして来た反動であろうか。近年日本人は「自分を大切にする」ことに強くこだわるようになった。
もちろんそれはとても大事なことである。だからこそ周囲の人も彼らを取り巻く社会も大切にできる。
しかし、それにばかり傾いてしまうと、自分や自分の人生、社会に重きを置きすぎて、逆にそれらにとらわれてしまう。そして鋳型にはめ込まれもがき苦しむ。
それが「のみこまれる」ということなのだ。
給料が減ってしまったらどうしよう・・・
自分の会社が潰れたらどうしよう・・・
老後の生活が心配だ・・・
経済恐慌になってしまったらどうしよう・・・
それらは皆、自分=自我と社会にのみこまれていることから生ずる。
だからこそ、視野を広げたい。
・世界数十億人のうちのたった一人にすぎない自分の生活がそんなに重要なのか?
・永遠の宇宙の時間にあって自分一個のたった100年にも満たない人生はほんの一瞬にしかすぎないではないか?
・広大無辺の宇宙にあって塵のような存在にしか過ぎない地球、そこで這いつくばるように社会を形成してきた人類とはなんなのか?
・その極小の社会で、金を得て居場所を失いたくないためにあくせく働き、一生を終える自分という存在はいったいなんなのか?
・輪廻転生が真実だとして、繰り返し繰り返し生まれ変わるうちの一つの人生にしか過ぎないこの人生でメンツを保てたとしてそれが何になるのだろう?
こうして大所高所から客観視することよって、人生や社会をのみこみやすくなり、心に余裕が生じる。
だからといって、自分を決して粗末にあつかうのではない。自分も大切にする。
論理では矛盾しているようだが、決してできないことではない。やってみればわかる。
