Shinpi Me

神秘の私 / 内なる自由を見つける

死生命あり、富貴天に在り


死生命あり、富貴天に在り

かつては、日本人の誰もが知っていたような

『論語』にある言葉であるが、

今は知らない人が多いであろう。

[訳文]

人の死生は天命であり、人の富貴は天の与えるものであって、

人力でいかんともすることはできない、

ただ順(したが)い受くべきものだ。

     宇野哲人『論語新釈』より


「死生(しせい)命(めい)あり、富貴天に在り」


これを唱えて、自分の身体に断定することによって、

主に江戸までの日本人が有していた

ほんらいの生き生きとした人生を取り戻す

きっかけをつかめるだろう。


なぜならば、『論語』は日本人が手にした最古の書物であり、

DNAの中に深く刻まれているからだ。


「死生命あり」の背景には、

みんな死を忘れていきがちであるけれど、

誰もが皆、死ぬ。


そのことをはっきりと認識して生きようという意味がある。




「富貴天に在り」は、

多くの人が金が欲しい、金持ちになりたいというが、

ほんとうに求めるべきことなのか。


あなたが求めることは他にあると

いっているととらえられる。



青空に浮かぶ雲はいつかは去って行く。


どんなに大きな雲も空そのものから消える。


木々の葉はその種類によって茂り方は異なる。


いくら茂ったところで限界がある。


そして、必ず散る。



永遠の若さを保てる秘薬が発明されたとしよう。


それで充実できるか。死ぬからこそ生が愛おしいのではないか?


誰もが金持ちになれるとしよう。


それでもあなたは金持ちになることを求めるか?


ただ優越感に浸りたいだけではないか?


生きて行くのに適度な金があればいいのではないか?




長生きやたくさんのお金よりも

人それぞれに、

もっともっと大切なことがある。



そのことを忘れないために、



「死生命あり、富貴天に在り」



と日本人は心で唱えて生きてきた。


別に、長生きすること、金持ちになることを目指すことが

悪いというわけではない。



ただ、それらは付随的なもので

手段である。



それぞれの人にとって、

もっと意識して育てるべきことがある。



この言葉から感ずることができる。