世界は大きく変化すると言われている。
だから恐怖を感じている人は多い。
それは無理もないことだ。
なぜならば、
今までにない激しい潮流かもしれない。
予期せぬ方向に流されるかもしれない。
鳴門のような渦があるかもしれない。
それらを前に立ちすくむのは当然のことである。
避けて通れるものなら通りたい。
一方で、たとえばその渦潮に飛びこみ、
身をまかす方法もある。
まるで洗濯機で洗われるぬいぐるみのように
ぐるぐる回るという覚悟で。
というのも、ここのところ私は
日々ぐるぐる回っているからである。
めまいである。
突発性のものがまた起こってしまった。
とくに、夜寝床に入って枕に頭をのせると、
天井が激しく回転する。
ふと思いついて、
そのめまいに「身をまかせる」ことにした。
すると、初めのうちは回転が大きくなったような気がして
気持ち悪さが増したが、それはすぐになくなり、
渦に身をまかせていると
数分も経たぬうちに、
すっと眠ってしまった。
道元禅師の書いた『正法眼蔵 生死の巻』にある。

ただわが身をも心をもはなちわすれて、
仏のいへになげいれて、
仏のかたよりおこなわれて、
これにしたがひもてゆくとき、
ちからをもいれず、
こころをもつひやさずして、
生死をはなれ、仏となる。
たれの人か、こころにとどこほるべき。
[現代語訳]ただ、わが身もわが心もすっかり忘れはなち、
すべてを仏の家に投げ入れてしまって、
仏の方からはたらきかけていただいて、
それにそのまま随ってゆく、
その時はじめて、
力もいれず、
心をもついやすことなくして、
いつしか生死をはなれ、
仏となっているのである。
ということであれば、
もはや、誰だって、
あれこれと心に思いめぐらしてみる要はあるまい。
増谷文雄『正法眼蔵』(角川書店。
講談社学術文庫にもある)
めまいのような小さな渦から、
自分の仕事や生活を呑み込もうとする渦、
世界全体を巻き込むような渦、
どちらにせよ、
目の前の状況を怖がらずに、
ふっと飛び込み、身をゆだねてしまう。
舵を手放し、
潮流に身をまかせる。
すると、少なくともその瞬間に
葛藤やもがき苦しむことはなくなる。
すると、
仏すなわち、
大いなる存在から働きかけがある。
自分の意図をまるっきり超えた
サムシングの働きによって
まったく新しい地へと到達する。
そこにはきっと心の平安がある。
少なくとも今までにない
自分と世界に出会えるだろう。
このアトラクション、乗ってみる価値は大いにある。
