今を否定する『このままではダメだ』という思いが、このままではいけない困った現実を呼び寄せる
という文が響いた。
津留晃一のメッセージ集、「神のシナリオ」という文章にある一節である。
そもそも若い頃から、折々にカフェに入って「このままでいいのか」と自分を見つめることをやってきた。
すると、必ず「このままではよくない。いいはずがないじゃないか。」という結論にいたる。
そこから「じゃあ、どうしよう」と思考を巡らせて行くわけである。
現在の私からみると、「自分に問いかける」のはいい。
しかし、「このままでいいのか?」という問いには、「このままではダメだ」という前提がすでにあるのだ。
スタート地点が狂っているから、いくら「じゃあ、どうしよう」と知恵をめぐらせ実行しても、「このままではダメだ」という現実がつくられていく。
いつまで経っても目の前で展開されている「このままではダメ」なシーンが消えてなくなることはない。
そのことに以前、気づいたのであるが、いつのまにか忘れ、潜在意識下で「これでいいのか?‐このままではダメだ」を繰り返してしまっていた。
「神のシナリオ」を読んで思い出したのだ。
久しぶりに読んだが、あらためてすばらしい。
津留晃一「メッセージ集」はどれもいい。今朝はかつてコピーしてクリアファイルにさしこんでいた「神のシナリオ」が書類の束から出てきた。たまたまである。
それこそ何かの“メッセージ”と受け止め読んでみたのだが、ドンピシャリであった。
とくに今の私に嵌ったのが、上記の言葉であった。
この文から数行おいて出てくる一文を読んで思った。
おおこれは、禅の本『臨済録』にでてくる有名な
「随所に主となれば、立ち処みな真なり」
そのままではないか。

やさしくわかりやすく説かれている。
もちろん津留晃一の文章は『臨済録』を解説しているわけではないが、これに触れると禅の深い思想が今までよりも心の奥に溶け込んでいくような気がする。
どんな時も、あなたの成すべきことは一つです。あなたは自分自身にただ命じます。
自分を意識の中心点に置くように・・・。
意識の中心点とは、あなたという宇宙の特異点のことです。
そこは常に創造の始まりの場であり、あなたの全てのスタートポイントです。
そしてそこがあなたのゴールでもあります。
「自分を意識の中心点に置く」とは、「自分のハートの中心に意識を置く」ということである。
あるレジャーランドに、動物をかたどった置物を「置くべき場所」へ置けば、洞窟の扉が開き、新しい世界が眼前に広がるというアトラクションがあった。
これと同様、自分を意識の中心という置くべき場所に置けば、自分の周りに新しい宇宙が開かれおのずと自分という宇宙の“創造主”となれる。
そう。津留晃一のこの文は、臨済録にある「随所に主となる」方法でもあるのだ。
「このままではダメだ」という思いは、描いた「理想」に現在の自分が至っていないことから生ずる。
理想という自分の外側に焦点を当てるよりも、まずは自分の内側、ハートの中心に意識を向ける。
そうすると、理想も達成されてしまうかもしれない。
いやいや、理想などいらなくなるのかも♥
