朱子曰く、
「人の楽しまざる所以は、欲有ればのみ。
欲無ければ便ち楽し」
『洗心洞箚記』より
〔訳文〕
朱子がいう。
「人が楽しめないのは、欲望があるからだ。欲望がなければ楽しめる」
「これからの時代は正しいことより楽しいこと」
と本で読んで以来、意識している。
古(いにしえ)よりの夜のリズムの時代は終焉して、
昼のリズムの時代を迎えようとしている。
昼のリズムの時代は「正しさ」よりも
「楽しさ」を追及する時代なのかもしれない。
でもいまだ夜の時代の感覚がぬけておらず、
「楽しい」ことを追いかけていいのかと思ってしまう。
ところが、冒頭の言葉を読むと、
自分が「楽しいこと」は何であるのか履き違えて
いたのかもしれないと気づかせてくれる。
欲望を満足させるのは、真の「楽しさ」ではないのだ。
むしろ欲望を無くしてこそほんとうに「楽しめる」。
たとえば、社会に出てからの勉強でもこれを学ぶことによって、
収入を増やすことにつなげる、
または、人から重きを置かれる
などと、欲を持つから楽しくなくなってしまうの
かもしれない。
学生でいえばいい学校に入ろう、成績を上げようと
求めて学ぶから、ほんとうは楽しいはずの学問も
面白くなくなってしまうのだろう。
きっと勉強でも楽しんで行なっている
人の方がものになるのだ。
努力して学ぼうとするよりも、
勉強を好きになるべきだ。
好きになるだけでなく、
さらに進んで楽しむようになるべきなのだろう。
子曰く、
之れを知る者は、之れを好む者に如かず。
之れを好む者は、之れを楽しむ者に如かず。
『論語』
