(2009年8月筆記)
司馬遼太郎といえば、
今年か来年いよいよNHKでドラマ『坂の上の雲』が
はじまるそうだが、
高度経済成長期の日本人たちを励ましたような
ある意味、イケイケの歴史上の男たちを描いてきた。
五木寛之氏はこう書いている(『他力』より)
司馬さんは、戦後、目標や自信を失って猫背に
なってしょげていた日本人に対して、
「日本人の文化や日本人の存在というのは、
何も卑下することはないんだ。
明治の頃も、その前の日本人にも、
見るところはあったんだよ」
と言って、日本人を励ましていたのです。
ところが、だんだんトーンが変わってくる。
司馬遼太郎は、バブルの絶頂期には、
「日本の資本主義は、この先数年のうちに、
根底からひっくり返るよ」と
指摘していたそうだ。
今になると、司馬遼太郎の予測は残念ながら
当たってしまったということになりそうだ。
日本どころか、世界の資本主義が音を立てて
崩れようとしている。
晩年は、自分の「日本人は卑下することはないんだ」
という言葉を鵜呑みにして、
「日本人はすごいんだ。明治以来の私たちの歩みは
間違っていなかったんだ」という形で傲慢になってしまった
日本人、とくに政治家や財界人に対して、
ものすごい嫌悪感を抱いていたそうだ。(五木寛之著『他力』より)
五木寛之氏いわく(『他力』より)
司馬さんの最後の対談を読むと、
あのバブル以後の日本人の傲慢の一端を
自分が作りだしたのではないか、
こんなはずではなかったとくやみ、
自己嫌悪の情がにじんでいました。
この五木寛之氏の文章を読み、
晩年の対談ものやエッセーから
司馬遼太郎をあらためて読んで
みたくなった。
そもそも自分も中学時代(3年)に
『竜馬がゆく』を
読んで人生を変えられたものの
一人であるのだが、中年となった今は、
若い頃ほどは
上を目指してのぼって行く的な
それらの作品の
魅力は失せていた。
むしろ、司馬作品であるならば、
『峠』の河井継之助のような滅びながらも
自分の生き方を貫いた人間に
人物に強くひきつけられる。
