Shinpi Me

神秘の私 / 内なる自由を見つける

シンクロニシティとセレンディピティ

最近、「セレンディピティ」という言葉を知った。

「シンクロニシティ」との区別がわからなかったのであるが、こちらは「意味のある偶然の一致」という現象をさしている。

一方、「セレンディピティ」とは、「意味のある偶然の一致を引き起こす〟主体的な力〟」といえるようだ。

 そもそも目の前に広がるすべての現象は過去における「自分の心」が引き起こしたものだという。

 これを「人生は心ひとつの置き所」といったり、「思いが現実を創る」といったりする。

仏教では「自因自果-自分の行いが自分に現れる」といい、中でも禅語には「一切唯心造‐すべては私の心がつくっている」とある。

 スピリチュアルでよくいわれる「引き寄せの法則」もこの中に入るであろう。

一方で、現象‐目の前の現実のみに焦点をあてて、現実は変えようがない、だから諦めようと強調されることが多い。

 たしかに、今、目の前に起きている現実はもう起きているのだから変えようがない。しかし、瞬間瞬間、刻一刻と変化している。その延長にある未来は思いを変えることによって変化させることができる。

 少なくとも、私はこちらの「心が自分を取り囲む世界を創っている」というとらえ方に焦点を合わせたい。

 だから「セレンディピティ」の意味-意味のある偶然の一致を引き起こす「主体的な力」をあらためて知ったとき嬉しかった。

 維新の英傑、西郷隆盛の思想を表している『西郷南洲遺訓』にはこうある。

 【訳文】(高野澄著『西郷隆盛』より)

事にかかわる機会には二つのかたちがある。僥倖の機会と、自分が引き起こす機会の二つだ。

大丈夫は決して僥倖の機会を頼りにしてはならない。大事にとりかかるとき、機会は自分で引き起こしてゆくのでなければならない。

英雄の事績を見ると、彼が自分で引き起こした機会が僥倖の機会であったかのように思われるのだが、ここは気をつけなければならないところだ。

【原文】(一部、当用漢字に変更)

事の上にて、機会といふべきもの二つあり。僥倖の機会あり、又設け起こす機会あり。大丈夫僥倖を頼むべからず。大事に臨では是非機会は引き起さずんばあるべからず。英雄のなしたる事を見るべし、設け起こしたる機会は、跡より見る時は僥倖のように見ゆ、気を付くべき所なり。

「僥倖(ぎょうこう)」とは、「思いがけない幸い。偶然に得る幸運。」「 幸運を願い待つこと。」とgoo辞書にあるが、つまり「棚からボタモチ」であり、「棚ボタを待つこと」である。

西郷は、そうした「棚ボタ」を待つのではなく、「棚ボタ」を自分で引き起こせ、それが大丈夫の道だと言っているのである。

しかし、仏教では、すべては因があって果がある。間に縁という作用が入っても、自分が原因をつくって棚ボタという結果を生み出すのである。

棚を見上げて、口を広げて待っているだけでは、いくらたってもモチは落ちてこない。

仏教でどういっているかは知らないが、そもそもここでいう「因」とは、「自分の心」にある。何らかの行動によって「果」につながったとしても、行動には「動機」という「心」がある。

心理学では「行動はその動機を強める」というが、「人からよく思われたい」と願って、社会に奉仕しているのであれば、活動をすればするほど「人からよく思われたい」という気持ちが強くなる。そして、「もっと奉仕をがんばって、人からよく思われなくてはならない」という状況を作り出す。

つまり、「わが心」こそが、その後の自分の状況を作り出している。

棚ボタという僥倖も、自分の心が造り出したのである。それがいつのことであるか、どのような原因であるかはわからなくとも。

少なくとも棚ボタがあって幸せであるならば、棚ボタで幸せを感じたような、幸福感を以前にも自分の心の中につくったはずである。それが、因となって、何かの縁を与えられて棚ボタが発生した筈だ。

これは、「シンクロニシティ」にも言える。

「意味のある偶然の一致」も、具体的にどんな「偶然の一致」を起こすかまでは意図できないものの、「意味のある偶然の一致」は何か原因があって起こるものであり、それは「自分の心」にある。

私も「シンクロ」に遭遇するときは、心が「前向き」であることが多い。「後ろ向き」であるとき「シンクロ」が起きた試しはないように思う。

たとえば否定的な感情にとらわれているとき、「泣き面にハチ」が起こることがある。電車に乗るとき、誰かに背中をどつかれて怒っていると、さらに別の人に足を踏まれるというような「泣き面にハチ現象」、これは「踏んだり蹴ったり」ともいう。

しかし、「泣き面にハチ」は、「シンクロニシティ」とは言わない。

「意味のある偶然の一致」の「意味のある」という言葉には、「前向き」な意味が込められている。その人の「人生に意味のある」とか「目的のために意味のある」など。

「前向き」とは、哲学者であり日本におけるヨガの創始者、中村天風のいう「明るく、朗らかに、生き生きと」であり、「尊く、強く、正しく、清く」といった「積極的な心」である。

「引き寄せの法則」でいう「心地いい」「気持ちいい」と感じる心の状態である。

その心こそが、「シンクロニシティ」を呼び寄せる。「意味のある偶然の一致」という「僥倖」をつくる。

そもそも、シンクロが起きた時に気づくのも、「前向きな心」だからこそである。

そうした「明るい心」が脳をクリアにして、「偶然の一致」をスルーせずに、気づかせる。洞察力を上げる。

リンゴの実が落ちるのを見て「万有引力」を発見したニュートンや数々の失敗にもめげず数々の発明をしたエジソンはそういう心の持ち主だったのだ。

「意味のある偶然の一致を引き起こす〝主体的な力〟-セレンディピティ」とはこういうことなのである。

「セレンディピティ」を高める方向で生きたいものだ。そうするとさらに人生は楽しく、意味のあるものになるであろう。